大学に入ってはじめての夏休みは、アルバイトに明け暮れている。来る日のため・・・それは、禁欲の日々との別離の日、まあ世間で言うところの『デビュー』の日・・・分かるかなぁ、分かりにくいかなぁ、単刀直入に言うと彼女が出来る日のために準備しておこうと思っているんだ。大学で学んでいる『企業広告戦略概論』で言うところの『費用対効果』の項目における『ゲルベウス理論を軸とした分かりやすいアイコン主義』に準じた行動だ。分かるかなぁ、分かりにくいかなぁ、単刀直入に言えば、免許と車が欲しいのだ。それはモテたことのない男子たちが最も最初に思いつく三平方の定理のようなものだ。三平方の定理であるからには、必ず正しいはずだ。理屈がどうであれ、正しいはずだ。そして、僕は夏休みが始めるやいなや、アルバイト情報誌を事細かに分析してみた。なあに時間は無限にあるから朝早いのも夜遅いのもござれだ。体力はあまりないから、力仕事はパス。時給も大切だが、1日の稼ぎ高を重視する。経験者優遇というのも、バイトがはじめての僕にとっては敷居が高い。交通費支給はもちろん、食事付きというのは、ポイントアップ。そんあこんなで選んだバイト先は
【芸能マネージメント。初心者歓迎。イロハのイから教えます。24時間自由出勤。入ったその日からあなたが社長です。がんばり次第で月収100万可能です。】
という駅裏に事務所のあるプロダクションだ。入学式用にばあちゃんに買ってもらったスーツとネクタイを締め、緊張で脇裏を汗だくにして受けた面接はあっけなく2分で終了。即日採用・・・というか、その1分後にデスクを与えられた。窓際の最後尾。机の上には、大きく太字で営業トークが書いてあるA4の紙と、黄色の分厚い本。
「どんどん電話して仕事をとってね。たのむよ、新人君。」
タウンページに掲載されている全国のスナックに電話をして、営業先を見つけるのが僕の役目だ。扱っている商材・・・バイト先の先輩や社員たちはそう呼んでいた・・・は、『調理士免許を持った占いとマジックの出来る演歌歌手』という33歳の女性。
「こんにちわ~。こちらは、九州は福岡からお電話さしあげてます太平洋企画エージェンシーのタナベと申します。お忙しいところを申し訳ありません。5分と言わず、3分と言わず、1分と言わず、ほんの一瞬だけお時間を頂戴して、わたくしタナベのお話にお耳をお貸し願えないでしょうか?全国にいらっしゃる心やさしいママさんたちに、『タナベのゆうべ』と言われ、大変ご好評を頂いております。」
これが机上のA4用紙に書いているすべて。ちなみに、この部屋には、僕を含めて14名いる。みんなタナベさんで、『タナベのゆうべ』で好評をいただいていることになっている。僕もタナベで、隣のデスクに座っているジャージに革靴のおじさんや、最前列中央に座るスピッツのようなお姉さんもタナベ。総勢14名のタナベで、全国へ『タナベのゆうべ』を電話口で語り続ける。
何事にもビギナーズ・ラックというのがあるみたいで、僕は6本目の電話で契約に成功した。
「ちょうど占い的なやつをやろうと思ってたのよ。あたしがしてもいいんだけどさ。まあ、プロが来てくれるんだったら任せるわ。安くしてよ。うちのお客さん、みんなお金持ってないから。」
ボヘミア~~~ンと歌っていた女性のようなハスキーボイスのママさんは、いかに金を持ってない客たちを相手に商売するのが難しいかをひとしきり喋った後、お試しコースである金土2日間×2週の依頼をかけてくれた。 何がどうであれ、商談成立だ。
僕は席を立ち、隣の部屋でナイターを見ていた責任者・・・のような人、面接官に報告した。
「さすがだな、坊主!俺の目に狂いはねぇ。」
そういうと、14人のタナベが並ぶ部屋に入り、こう言った。
「さて皆さん。期待の新人、タナベ君がPコースを1本契約を取りました。では、起立!。」
全員が起立をして、僕を見る。
「はい、ではご唱和ください。我々の同僚・タナベくんが。」
「われわれのーどうりょうータナベくんがー。」
「栄光のステップを駆け上がっています。」
「えいこうのーステップをーかけあがっていまーす。」
「我々も。」
「われわれもー。」
「負けじとタナベくんに続きます。」
「まけじとータナベくんにーつづきまーす。」
「何故ならば。」
「なぜならばー」
「我々も。」
「われわれもー。」
「タナベの夕べのフロンティア。」
「タナベのーゆうべのーフロンティアー。」
「以上!」
「お疲れ様です!」
社会とは不思議な場所だ。
その2日後、僕はなぜかボヘミア~~~ンのママさんが待つスナック『オーロラ』に向かう電車の中にいた。僕の目の前には、商材と呼ばれている、『調理士免許を持った占いとマジックの出来る演歌歌手』という33歳の女性がいる。太平洋企画エージェンシーの募集要項に掲載されていた『入ったその日からあなたが社長です』というのは、あながち偽りではなく、つまりは自分がとった契約先での営業におけるマネージャー的な仕事も仰せつかったのだ。一張羅のスーツのポケットには、会社から支給された名刺も入っている。名前は、「田辺雄一」。アルバイトをしている14名のうち誰が営業先を見つけてきてもこの名刺ひとつで間に合う。誰かが会社を辞めようと、新しい誰かが入ってこようと名刺を無駄にすることはない。全員が「田辺雄一」で、営業トークと言えば、『タナベのゆうべ』だからだ。究極の経費削減。本物の社長の考えることはすごい。現場の経営学というのは目から鱗だ。ちなみに、目の前に座る女性の名前は、「菅井けい」さん。本名だそうだ。主役が本名で、脇役の僕が偽名。これもなんだか面白い。世の中って、本当におもしろい。
菅井さんは、電車に乗り、動き始める前に眠ってしまった。1時間くらいがたっただろうか。寒い日だったので、二人分買っておいた温かいウーロン茶は、僕のスーツのポケットの中で人肌以下の温度になってしまった。初対面の菅井さんは、僕にとってはじめて接するタイプの女性だ。けだるく、大人っぽいというか。例えて言うなら、スミレ・セプテンバーといったところ。海沿いの単線から見える工場の煙突たちが出す煙と空の境目を見究めてやろうと凝視していると、腕を組んだままの菅井さんがビクッと身体を震わせ、目を覚ました。軽く伸びをしながら、「おはよう」と言うような調子でこう言った。
「ねえ、タナベくんさぁ、夢ってある?」
「夢ですか?うーん、それを探しているところというか、漠然とはあるんですけど、まだはっきりしてないというか・・・でも、公務員やサラリーマンは嫌なんですよね。」
「どうして?」
「夢がないじゃないですか。男たるもの、やっぱり勝負したいですから。小さくてもいいから、会社をつくりたいんです。」
「どんな?」
「それはまだ分かりません。強いて言うなら、IT関連かバイオ関連。でも、最近、こういったショービジネス的なもことも興味が湧いてきました。」
「ショービジネスねぇ・・・これは、違うよ。これは、ド・サ・マ・ワ・リ。ITとかバイオとかあまり分かんないけど、勉強はしっかりしなよ。」
「はい。ありがとうございます。菅井さんの夢を聞いてもいいですか?」
「わたしの夢?わたしの夢ははっきりしているわ。」
「何ですか?」
「何だと思う?」
「うーん。テレビ的なところに出ることですかね。紅白とか。」
「あははは。タナベくんはおもしろくてやさしいのね。わたしの夢はそんなんじゃなくて、もっとちっぽけなもの。」
「何ですか?猛烈に聞きたいです。」
「タナベくんと話していると、なんか洗われるね。じゃあ、特別に教えてあげよう。誰にも言わないでよ。誰にも話したことないんだから。」
「はい、誓います。」
「わたしの夢はね・・・ふぐの刺身をね、こうやってお箸をずさ~とすくって、口いっぱいにほおばるようにして食べてみたいの。ふぐなんて、閉店間際のスーパーで3割引しているパック詰めのやつを月に1度食べるくらいだからさ。」
「あ、それ分かります。僕は、メロンを主食に、ステーキをおかずにして、お腹いっぱい食べてみたいです。」
「タナベくん、本当におもしろい。あのさ、いつか二人でやろうよ、それ。」
「はい。喜んで。チップでバンバン稼ぎましょう。」
「おう。久しぶりに頑張ってみっか。どれくらいあればいいかな。」
「どれくらいなんでしょう?よく考えてみたら、ふぐもメロンもステーキも値段的なもの知りませんでした。多分、10万円くらいじゃないですかね。」
「10万円、10万円。それくらいあれば足りるのかな。わたしもよく分からないわ。でも、きっとそれくらいね。タナベくんが言うなら、きっとそれくらいよ。」
「はい。きっとそれくらいです。最高級なやつばかりでそれくらいですよ。だって、10万円を2で割ると5万円でしょ。一人5万円の食べ放題なんて聞いたことないから、2人で10万円あれば、お釣り来ますよ、きっと。あれ?そうか。僕らみたいな人ってたくさんいるはずだから、1人5万円の食べ放題のお店やったら儲かるかも。うん、いけると思います。菅井さんありがとうございます。僕の夢が、はっきりしてきました。では、そのテストケースとしてでも、ぜひふぐとメロンとステーキを10万円分食べちゃいましょう。」
僕らが乗った電車は、指定された駅に着いた。仕事場であるスナックは、その駅裏の路地を入ったところにあるそうだ。菅井さんの衣装や手品セット、そしておつまみを作るための材料である大根などが入った年季の入ったナイロンバッグを背負い、僕らは席を立った。ふぐとメロンとステーキのため、あと3時間後に『タネベのゆうべ・第2幕』が始まる。